2011年 03月 22日
疎開
巨大地震がおきて、余震の中、原発の問題がマックスだったとき、とても不安になり、思い切って、住んでいた北海道へ疎開しました。
やはり、子供連れ、妊婦さん、同じように動いているひともいました。
放射能汚染の子供への影響が怖かったのと、友人からの沢山のメールで、何もなく帰れることが前提で、家族で動けるのなら2週間くらい行こう。
というかんじで、現在、北海道にいます。
北海道へ着き、まったく、普通の生活をしていることに驚きました。
GSも並ぶこともなく、スーパーには商品が普通に並んでました。
地震酔いも2.3日でおさまり。寝不足も解消されました。
ゆっくりといろんな事をやっと考えることができました。
被災地や地元を離れてみて、すこし、冷静になれました。
家族にも迷惑をかけ、疎開しましたが、来てよかったことも沢山ありました。
そんなに酷くないながらも、被災地である地元の人たちよりも、もっと、真剣に現在の状況に、自分たちが何をできるかってことを、考えている人たちが沢山いました。
私も、帰って、子供の安全の次に、自分が被災地の方や、これからの日本のためにできることから、していきたいと思いました。
やはり、子供連れ、妊婦さん、同じように動いているひともいました。
放射能汚染の子供への影響が怖かったのと、友人からの沢山のメールで、何もなく帰れることが前提で、家族で動けるのなら2週間くらい行こう。
というかんじで、現在、北海道にいます。
北海道へ着き、まったく、普通の生活をしていることに驚きました。
GSも並ぶこともなく、スーパーには商品が普通に並んでました。
地震酔いも2.3日でおさまり。寝不足も解消されました。
ゆっくりといろんな事をやっと考えることができました。
被災地や地元を離れてみて、すこし、冷静になれました。
家族にも迷惑をかけ、疎開しましたが、来てよかったことも沢山ありました。
そんなに酷くないながらも、被災地である地元の人たちよりも、もっと、真剣に現在の状況に、自分たちが何をできるかってことを、考えている人たちが沢山いました。
私も、帰って、子供の安全の次に、自分が被災地の方や、これからの日本のためにできることから、していきたいと思いました。
by ranmaru515mayumin
| 2011-03-22 16:07
| 日記